失うモノ得るモノ保つモノ

本当の私と偽りの自分。

なにするか。

コロナさんの影響で、長い春休み。


日本が、、



変わるね。


経済もやばいんじゃないか?



私は幸いにも、

老人ホームで調理師として働いている。

影響はないどころか、

365日休みがない職種。


世界が何だろうが

台風だろうが、

大雪だろうが、

祝日もお正月も、

なんだろうが、


施設に住む人がいる限り

私には仕事がある。



感謝を忘れずに。

そして、最も感謝するのは、

一緒に働いている2人だ。

私はこの2人が居なかったら、

いまの職場では働いてない。


まだお留守番不可能な子供を持ち、

自分の地元からこんなど田舎に嫁いだ私は自分の実家もない。


預け先も限られる。


そんな私に文句言わず、

休みをくれ、

子供優先を尊重してくれて、



そんな2人に私は感謝しかない。


対人間だ。

嫌な部分もある。

でも、それでも、



感謝。



それは忘れちゃいけないよね。




結婚なんて、、






しなくてもいい。




でもこんなどがつくど田舎に、→言い方失礼。


嫁いだからこそ、

出会えた方々。


すげーな、人生。

描いた理想図。

昔、私は、ボロい平屋に住んでいた。

玄関も閉まりにくい、

自分の部屋なんてもってのほか。

冷蔵庫に行くには、あれやこれやを身体を細めて行かなきゃいけない、狭いぼろぼろな平屋。



いまとなれば、幸せだった。

ぼろぼろだろうが、帰る家がある。

母がいる。父がいる。姉がいる。

犬もいた。

ただ思春期の私には、嫌で嫌で仕方なかった。


いわゆる家出、夜遊び、しまくった時期もあった。



そんな私は、近所の二階建ての綺麗な家を眺めては、いいな、友達を招き入れ、ジュースだして、お菓子並べて、おはなししたいなー。


母も心地よく友達を招いてくれて、

色々お菓子を出してくれる。

そんな妄想をしていた。


随分長いあいだ、そんな妄想族になっていた。



そんな私は、17で家を出て自立した。


そして、結婚して、

子供がいる。




昔描いていた理想図を、


私は叶えている。


友達を呼び、

お菓子をだして、

いつでもおいで、と笑顔で言えている。


友達が来てる間の自分の子供の顔を見て、


楽しそうだな。


と本当に思う。



私が昔したかったことを、

子供がやり、

私がやる。



私の心の活力のひとつ。



ぼろぼろな家を恥ずかしいと思って、

馬鹿な私。

そんなの恥じることではない。



恥ずかしいと思っていた自分が、

恥ずかしい。




でも、あの楽しそうな子供の笑顔が、






私は大好きだ。

今日は、手術前検査。


私は来週入院して手術する。




病気になって、

一日一日を大事にするようになった。


頑張るって事ではなくて、

自分の気持ちを大事にするようになった。



疲れた、今日はもう寝よう。

お、調子いいな、断捨離してスッキリしよ!

的な。


自分を見るようになった。



自分の大事なものに対して、後悔ないように接するようになった。



命に別状はない、

退院も元気にする。


でも、

入院二週間くらいで、



私には悔やむ時間もたくさんある、




入院の二週間がなければ、

これができた。

とか、

入院の二週間がなければ、

もっと行けた。

とか。



仕事はもちろん、色々。


人生の二週間なんて大したことない

って思う反面、

色々オモウことがある。